2010年10月4日月曜日

検察官の責任

今、日本の司法、とりわけ検察が窮地に立たされております。

大阪地検特捜による郵便不正事件や尖閣諸島の近海で起こった
中国漁船衝突事件での那覇地検の船長釈放などでの対応を見る
につけ、もはや検察は解体的出直しが必要です。

特に逮捕された大阪地検特捜の大坪弘道前部長や佐賀元明前副
部長の取り調べに対する言動には耳を疑った。

彼らは一様に、故意ではなくミスによる改竄だと捉え、今回の
逮捕に不当であると主張しています。彼らは無実の人間を拘留
したことへの反省など感じてないようであり、さらに検察の論理
のみでの判断しかできないと白日の下に曝け出しています。

検察の論理で歪められた判断とは、起訴すべき論理の中では、
たとえ無実の人間をも起訴し、自白させることが優先されている
という酷すぎる実態です。

これは特捜という閉鎖的空間の中で麻痺させられた行動様式で
あり、もはや正義だけでなく、検察内での信賞必罰だけが優先
される結果とも言えます。

検察は社会正義を実現するためのものであるはずが、もはや
検察の論理だけがまかり通るのであれば、検察官の責任を果た
せる訳がないと思います。

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