2009年5月31日日曜日

景気回復

 多くの人が景気回復を待ち望んでいる。 この大不況がアメリカ発のため
自分たちが招いた不況と思わず、(バブルがはじけた時のような)不運が重
なった結果という意識が強いと考えられる。

 アメリカの経済が持ち直すと景気回復につながるということを多くのエコノ
ミストも言っておられので多分そうなのだろう。 ただ、待ち状態でこの大不
況を乗り越えられるほど甘くはないと思われる。

 やはり、何か新しい産業、ビジネス、商品といったものが必要である。 そう
簡単にイノベーションが創出されわけはないので難しいことも重々承知の上で
やはり何か提案してみたい。

 政府が現在行っている景気対策は補正予算組む、赤字国債も持さないような
ものである。 まあ、最も後から消費税率アップというものが我々に降りかかって
くるのがわかっているので、あまりもろ手挙げて賛成できるものではない。

 だとしたら、民間レベルでの需要の掘り起こしが出来ないものかと考えてみる。
この大不況の中でも業績のいい会社はある。 この業績のいい会社が新しい
ビジネスを創出できるようバックアップできないものか。 会社間の異業種交流
の場を作る必要がある。

 営業コストをかけず新規顧客、ビジネスを見つけるイベントである。 大手の
企業だと自ら主催することができるが、参加費用や出展費用がネックになって
しまうので、ここに官や自治体の補助が入る仕組みが必要が考える。

 民間、官、学の一体となって産業促進が必要であり、それをプロデュースで
きる企業・人材が早急に必要である。

2009年5月30日土曜日

野中広務研究3

野中が最後に対決した小泉純一郎だけは引きずりおろせなかった。

小泉が野中より策略や権謀の能力で上回ることなどない。小泉がこれ
までの政治家に無いタイプとはいわないが、総理にまで上り詰めること
なかった。

1匹狼もしくは少数の仲間しか持てず総裁選に打って出ることは変人で
なければ出来なかった。 小泉も過去2回の総裁選は橋本、小渕に完全
にやれている。 

ただ、森政権崩壊後の自民党の危機感は、これまで政治の流れを一変
させた。 経世会が弱体したことも小泉政権を生んだ要因のひとつと考え
れる。

多分、野中は小泉政権が生まれたとき、そんなに長く政権を維持できない
と考えていたことだろう。 党3役、並び閣僚を派閥の意向の無視して独断
で決めることなど許したくなかったが、最初だけと大目に見ていたことだろう。

野中は最後まで小泉を崩せず、最後は引退にまで追い込まれた。 最も野中
が小泉によって引退したなど言わないと思うが、経世会が壊滅状態に追い込
まれた事は確かである。

小泉政権時の総裁選挙で送り込んだ藤井候補のその後の惨澹たる状況は
経世会の弱体化をよくあらわしている。 現在の津島派に過去の経世会の
面影などない。

 そして、小泉を引きずりおろせなかった要因は、支持率の高さと金権ス
キャンダルがほとんどなかったことである。 小泉に金にまつわるスキャン
ダルが皆無というのではなく。 揚げ足とりのようにスキャンダルのリークをす
ればブーメランとなったで自分たち飛び火してくるから、野中得意の権謀
術数は生かされなかった思われる。

 挙句の果てに日歯連の献金問題は野中の致命傷になった。
現金授受の場面にいた野中、橋本、青木の3人は司直の手から逃れ、村岡
に責任をかぶせる事が出来たが、国民の疑惑の目から逃れることは出来な
かった。

 「毒饅頭食ったんか」と怒りをあらわにした村岡に罪をなすりつけられて、
少しは気分が晴れたかも知れない。 
 えてして、弱者に対する善人ぶりをアピールする野中だが、以外と他人には
厳しい面がある。 子飼い鈴木宗男が検察に捕まったときも知らん振りのよう
にふるまった事のその良い例である。

 自治大臣・国家公安委員長時代に培った謀略のコネクションもさび付いてしまった
と考えられる。

 最後に言及したいことは、野中が小泉を見誤ったことである。支持率や非金権体質
よりも重要なことである。 それは、小泉は加藤のような腰抜けで無かったことである。
 テレビでみた予算委員会で小泉と野中が対決した場面を思い出す。多分このとき、
小泉は野中の質問事項の裏側に隠されている恫喝にひるまなかったことが野中の
一手を封じ、政権を維持できたと考えられる。

2009年5月29日金曜日

野中広務研究2

 前回に引き続き野中広務について書いてみたい。

 やはり、小沢一郎と野中広務の共通点と言えば、やはり闇将軍
というネーミングがピッタリのキャラクターと言うことだろう。 ただし、
闇へのルートは両者で異なる道をたどる。

 小沢は基本的に経世会の陽のあたる場所にいたため、マスコミの
格好の餌食になり(金権体質政治)、表舞台でなく裏方に回った感じ
がする。
 一方、野中は地方の政治家から中央に地味に転進し、かつ文字
通り底辺にいたことな間違いない。 ただ、自民党が下野した時、
野中の力なくしては自民党の復活はありえなかった。
 もし自民党が与党のままだったら、野中は自民党の田舎議員に
見下されて、日の目を見ない政治家だったのでないかと考える。

 これは、現在の総理である麻生とのまことしやかなエピソードが
物語る。そして、下野した自民党の議員は、野中がのさばることも
大目に見ていたことだろう。
 しかし野中は、自民党が与党に復活しても、幹事長代理などの
あまり重要でないポストにいたこと考えると、裏方に徹する事で
多くの自民党の田舎議員への配慮を忘れていないこと示すもの
と考える。
 ようやく、小渕政権のとき、小渕に懇願されて官房長官のポスト
につき、表舞台に登場する。 (もう十分目だっていたが)

 この小渕政権の改めて見直すと、自自公という現在まで続く、
醜悪な政権与党が誕生した。 公明党と自民党という水と油が
一緒になるため、触媒として自由党率いる小沢が必要であった。
小渕を挟んで、小沢と野中が握手する場面は醜い以外の何者
でもなかった。この奇妙な構図に多くの国民も疑問を抱いたはず
である。
 野中は小渕政権の前の橋本政権で、小沢がいた新進党を壊滅
に 追い込ませた張本人であるから、この自自公はいつ崩壊する
のかという危険性をもっていた。 これは、小沢の政治家としての
資質によるものである。
 
 結局、小渕の死が自自公の崩壊を促し、野中、青木、亀井、森
村上のいわゆる五人組による、密室での森政権への移行がなさ
れた時から野中の転落は始まった。
 
 森政権はあまりにも国民的人気がなかっため、自民党内部から
反発が広がった。 最も野中は一発目の「加藤の乱」は持ち前の
権謀術数を使い、加藤の弱腰もあいまって沈めることができたが
二発目の小泉の総裁選への出馬によって形成が逆転してしまった。




 
 

 
 

2009年5月28日木曜日

野中広務研究1

以前、小沢一郎について書いたが、今や引退して過去の人になりそうな
野中広務について考察してみたい。

すでに、野中に関しては魚住昭『野中広務 差別と権力』に詳しく書かれている
のでそれ以外に言及したい。

野中がテレビに出演した際の光と影もしくは善と悪の両面を見せ付けてくれて
事である。 

光のシーンとは2001年8月にニュースステーションに出演し、靖国参拝に対
する発言である。 久米宏を篭絡するあたり、さすがといわざるを得ない。
野中自身の体験を踏まえ、靖国が先の大戦に反省していないため首相による
靖国参拝はしてならないというものである。 聞いていて正直、後藤田より説得
力がある。そして、多くのサヨク(リベラル)の人達の心に響いたはずである。

とは言え、私個人的には行きたい人は行けばいいし、行きたくない人は行かなく
てもいいという考えから、野中の発言には賛同できなかった。

ここで、久米あたりが心底、感化されている姿に興ざめした。 高校生くらいに
観たTVスクランブルという番組で、久米が当時の自民党幹事長、二階堂に
向かって「選挙に負けたらハラ切りますか」というの聞いて本当に下品な人だ
と感じた。

そしてニュースステーションでの久米宏のニュースショーにはうんざりさせられる
ことが多かったので野中に鋭い突っ込みが入れないキャスターの限界を見た。

野中は国旗国家法の推進時のキーパーソンであることは知っているはずなのに
やはり、リベラル(サヨク)は甘いなと感じた。

逆に野中の凄さなのかも知れない。 彼はある意味両極端のことを平気で出来、
悪魔と呼んだ小沢とも手を握り、公明党と対決したか思えばすぐに協力関係も
構築できる稀代のマキアヴェリストといって過言ではない。

そして、もうひとつが「加藤の乱」のとき、サンデープロジェクトで加藤紘一を恫喝
するシーンである。  まさに野中の真骨頂というべき政治手法である。裏では
加藤と同じ派閥の古賀誠を使い、切り崩しが終わった後、テレビ番組で加藤の
非を責める2段階戦法である。 この中で野中は加藤を諭すようにそして威嚇
するよう加藤を落としていった。

このとき、テレビで見たとき、加藤紘一が政治家失格という事がわかった。
そして、谷垣あたりに「あなたが大将なんだから」と言われて加藤の乱を終息
させた記者会見のシーンは、加藤ならびに谷垣も醜悪に思えた。

政治家にとって一番必要な強い精神力(悪に対してもひるまない姿勢)が加藤
や谷垣にはないと感じた。

この野中も結局、小泉政権時に権力闘争に負けて引退するのだが、村岡あたり
に罪をなすりつけて引退するあたり野中広務ここにありと言えるだろう。

2009年5月27日水曜日

GMの破産

GMの無担保債務272億ドル(約2兆5500億円)の削減交渉が不調
に終わったため、破産申請が濃厚になった模様である。

ビッグ3と呼ばれ、常に世界のトップの自動車メーカーがついに破産して
しまうのかという、ある種の感慨を持たざるを得ない。

過去にクライスラーの危機もあったが、今回の世界同時、大不況の中で
は、手を差し伸べる企業はほとんどないと考える。

現在の世界的大不況の原因、サブプライム問題に端を発した、金融の
連鎖的、悪影響が世界を包み込んだ形である。 自動車、半導体、電機
といった大企業もその影響から避けられない感じである。

当然、破産することで膿を清算しなくてはと考える一方、その影響度合い
がいかほどのものなのか、ニュース等だけでは推し量れない感じがする。

北朝鮮の暴走と並んで予断を許さない状況にある事に間違いない。

2009年5月26日火曜日

クラウドコンピューティング

最近、読んだ本で野村総研の城田氏が書いた「クラウドの衝撃」
は大変面白く、かつ興味が注がれる内容になっています。

IT業界に身をおき、クラウドという言葉には敏感なせいか、読んで
みたい欲求が抑えられなかった。

実際、仕事で携わったいたものがSaaS、PaaSといったソフトを扱って
いたためです。(HaaSについてはそれほど詳しくない)

自分のなかでもそれなりにクラウドのことについて解っていたつもり
ですが、現在のIT業界の巨人である、グーグル、アマゾン、マイクロ
ソフト、セールスフォースといった企業の記事はよく分析されてかつ
解りやすいものです。

IT業界だけでなく、IT使う企業にとってクラウド化は避けられないで
しょうし、またそこからイノベーションが生み出されるものと期待したい。

やはり、SIに関わるPaaSの展開にはぜひ、多くのソフト開発会社に
参画してもらいたい。 

将来的には、エンドユーザーがみづからSIが出来るようになればと
考えております。

2009年5月25日月曜日

北朝鮮の核実験

やはり、今日のトップニュースである北朝鮮の核実験
を聞いて正直驚いた。

先月のミサイル実験で議長声明に留めてくれた中国・
ロシアも今回は安保理決議に応じざるを得ないのでは
ないか考えられる。

北朝鮮としては早くアメリカとの交渉につきたい一心
なのかも知れないが危険すぎる。

ただし、アメリカも中国、ロシアも今、事を荒げたくない
という事においては一致した見解だろう。 それを見込
んでの北朝鮮の行動だと思うが、不測の事態が起こら
ないことだけを願うばかりである。

日本として独自の制裁はもうすでに対応済みと言われて
いる。 アメリカ、中国、ロシアを含めた経済制裁を打ち
出すことが必要になる。 たとえ北朝鮮の暴走を誘発し
てもと考えているが、日本がその暴走に対応すべき、力
も法整備もなされていない今、むなしい思いだけが募る。

出来ることなら、北朝鮮のレジーム・チェンジをスムーズ
できないものかと考えるが、現状難しいのだろう。

2009年5月24日日曜日

経済の動向

 昨今の大不況は、もしかすると過去の失われた10年よりも深刻なので
はないかと考えられる。

 過去のもので未だ記憶に残っているものとしては、98年の山一、拓銀
の破綻によって株価がとめどなく下落し、デフレスパイラルに陥った状況
が現在の大不況に酷似している。

 ともに株価は日経平均で7000円台に突入したことによって金融界に
与えた衝撃は計り知れない。 現在の不況がアメリカ発の不況のため、
日本の金融機関での大型な破綻には至っていないが、外資の証券、
保険といったところに大きな痛手のあとが見られる。

 なにより、今回の大不況においては、マスコミ(新聞、テレビ)の広告
収入が大幅な減収という形で現れている。

 新聞・テレビは今まで高給で通っている業界だから、ボーナス削減や
給与の見直しといったところにメスを入れる必要に迫られている。
 
 98年当時の不況はIT業界が景気の下支えが可能であったが、今回
はIT業界も景気を刺激できるようなイノベーションを果たして提案できる
のかという事である。
 
 IT業界のキーワードとしてクラウド化ということになりそうであるが、実際
どこまでエンド・ユーザーのその必要性を実感してもらえるのか不透明で
ある。

 アメリカ発のグーグルやアマゾン、イーベイといった先進的企業の新しい
サービスやビジネスが世界の景気の底上げをしてきたことは確かだが、
今後新しいビジネスをネットだけでなくリアルな世界にも、求めていく必要
があるのではないかと考える。

 現在の日本の広告の出稿先はテレビ、新聞、ネット、ラジオ、雑誌と
いった感じで構成されているが、広告全体が目減りする中で広告のシフト
が始まっている。 テレビ・新聞の広告はさらにネットに流れるがネットそれ
自体が媒体としての規模がテレビや新聞に比べて脆弱な面は否めない。
 要するに弱小の媒体が数多く集まったものがネットのスケールメリット
でテレビ・新聞に対抗している。

 広告の減少は、業界の再編もしくは合従連衡を促すのか知れないが、
これからもウォッチする必要がある。


 

2009年5月22日金曜日

ルーブル美術館展

先日、上野の国立西洋美術館で開かれている「ルーブル美術館展」に
行ってきました。

平日ですが、中に入るまで60分くらいの待たされました。 日中の日差し
の強い時間帯でしたので、待っている身としてはつらいものがあります。

その中で気づいたのですが、東京ディズニーランドのように、ファストパス
のようなものがある事を始めて知った次第です。

知らなかったものにとっては不公平のようにも感じられますが、時間指定
ですのでサービスとしてはありなのかなと思います。

実際、70数点の作品が展示されていましたのである意味、適度な作品数
かな思いました。

展示された作品の中ではカルロ・ドルチの「受胎告知 天使」の肖像が
美しかった。 これは「ダビンチの天使」同様に心を奪われます。

2009年5月21日木曜日

裁判員制度

 本日(5月21日)より裁判員制度が実施される運びとなった。
制度そのもの日弁連の後押しもあり、すんなり国会にて法案が
可決されたが、実施する間際になって、異論反論が噴出して
いる。
 そもそも、私も誤解があったのが、裁判員制度とアメリカなど
の陪臣員制度との違いである。 
 その違いの量刑の判断に一般市民がかかわることだ。陪臣員
では、有罪か無罪の判断はするが量刑は裁判長が行う。
 死刑の是非が未だ叫ばれている日本社会において、ひとつの
刑事事件の審理と判決で、根本的な死刑の是非が問われるかも
知れない。
 このことは重大である。 死刑廃止論者が9人(裁判官3人)の中で
一人の場合、当然死刑の判決が下される。 自分の心情とは別に
 また、死刑賛成が一人の場合、凶悪犯罪(宅間など)が無期懲役
になってしまうことである。
 一般市民が入らなくても当然、現在の裁判でも、葛藤のようなもの
が見え、かつ一審と二審で異なる判決が下されることは多々あるの
ものなので、当然なのかも知れないが、やはり一般市民への精神的
苦悩は避けられない。
 かく言う私は制度には賛成ではないが、選ばれたら参加したいと
考えている。 たとえ、死刑の判決が必要事案であっても、覚悟を
決めている。 出来ればその中にいる死刑廃止論者と激論が出来
ればとさえ思っている。
 ただし、最近の最高裁の判決が出された「和歌山カレー毒物混入
事件」は状況証拠のみによる死刑判断はやはりおかしいと考える。
無期懲役が妥当な判断だろう。
 人が何人死んだかという永山基準の束縛から早く脱却すべきである。
たとえ、1人であれ、残虐性のものは少年法も無視して死刑の判断を
下すべきであると考える。(たとえば、コンクリート詰め殺人など)

 
 

2009年5月20日水曜日

小沢一郎研究4

 小沢一郎を検証する場合、やはり闇の部分に触れる必要がある。
その闇の重要な人物が野中広務と小渕恵三である。 小渕は言うまでもなく
竹下七奉行のひとりであり、経世会の分裂の際には小沢と小渕は対立せざ
るをえなかった。 野中については、経世会が分裂するまでほとんど表舞台
に立つことななく、自民党が野党に転落してから脚光を浴びた。

 まず、小沢と野中であるが、小沢が自民党を飛び出したとき、野中は小沢
を自分の著書「私は闘う」で小沢を悪魔とののしった。 これは小沢と野中
の確執があったというのではなく、仮想敵とした内外に示したものと考える。
 結局、野中は自民党を復活させ、新進党を分裂に追い込んだといえる。
ただし、2年後には自自公連立政権(小渕)を成立させるとメディアの前で
小沢と野中は握手までして取り繕っていた。 その姿は醜悪に思えた。
多分、表に出ない駆け引きがあったのだろう。 仄聞によれば、小渕が
野中に頭を下げ官房長官をお願いし、かつ小沢との関係修復をはかった
のではないかと言われている。

 次に小沢の強烈なイメージが残っているのが、小渕の記者会見の場である。
小沢との会談で、連立解消(保守党も残留)が決定付けられたあとだった。
そこでの小渕のしどろもどろぶりは明らかにおかしかった。 小沢との会談
内容が小渕の神経をまいらせているのではないか感じたくらいだった。
 その1ヵ月半後、小渕は帰らぬ人となった。(脳梗塞といわれる。)

 小沢の闇をあぶりだすことは多分難しいだろう。 本人も過去の政治を振り
返るとその闇を見つめることはできないのではないか。 
 小沢が理解されないというよりむしろ小沢は小沢を演じ続けなければならな
い運命をも呪いたくなるのではないか。 

 今回の代表辞任も小沢一郎ストーリーの必然的結末であり、また院政の
ような立場の役回りも用意されている。
 常に得体の知れない「小沢一郎」ではなくてはならないような気がする。

 




 

2009年5月19日火曜日

小沢一郎研究3

 小沢一郎の印象はやはり、自民党の幹事長時代に決定付けられたと考える。
いわゆる、金丸、竹下、小沢ラインが出来、他の竹下派七奉行とは一線を画し
たといえる。 最も金丸・小沢 対 竹下・小渕に経世会が割れるのを見ると、
マスコミが書きたてた「金・竹・小(コンチクショー)」とは1枚岩ではなかった。

 さらに、個人的見解だが小沢によく豪腕というが、果たしてイメージどおり
とは思えない。 小沢が権力闘争の結果、自民党を離党するところを見ると
政治家としての手腕がそれほどのものとは思えない。 マスコミによるイメージ
でさも有能(豪腕)もしくは自己中心的、強圧的に写っていたと考えるられる。

 そのいい例は、東京都知事選挙での磯村擁立や宮沢政権を作るときや、
自民党の総裁選のとき幹事長である小沢のところへ宮沢・渡辺などを呼び
つけた事など、どういうイメージでマスコミに書かれるかを推し量れない
あたりを見ると有能といえない。

 したがって田中角栄と比較する小粒でしかないし、金集めの能力は高いの
かも知れないが金丸程度といえるだろう。 

 ただし、小沢の凄いところは田中や金丸に好かれることである。

 小渕政権が発足する前、田中真紀子がマスコミでよく登場し、コメントを
求められて、小渕・梶山・小泉を凡人・軍人・変人と称した際、小沢について
聞かれた時、すっけなく「知りません」とだけ答えていた。 いつもなら要らな
いくらい饒舌の田中真紀子が、さも感心もないように装っていた。
 このシーンをテレビで見たとき、田中角栄は田中直己でなく田中一郎が
本命だったのではないかと勘ぐったほどだ。

 小沢がいかに田中や金丸に好かれようが、同僚や部下が疎まれるところ
を見ると人間的に欠陥があると考える。

 結局、小沢は自民党、新生党、新進党、自由党、民主党を渡り歩くことに
なるが、政治家として一貫性もなければ、駄々こねて常に側近に去られると
いう感じがしてしまう。
 西松献金問題でも同じ俎上に上った二階なども小沢の側近だった。まあ、
政治手法(金権スタイル)は争えないらしい。

 
 

2009年5月18日月曜日

小沢一郎研究2

 小沢一郎を論じる場合、田中角栄、竹下登、金丸信の3人とのかかわりを
論じないことには小沢像を正確につかめない。

 前回説明した1983年の総選挙が田中派のターニングポイントであった。 
当時の田中角栄は闇将軍としての地位を築き、大平、鈴木、中曽根政権に
おいても絶大な権力を掌握していた。 
 田中角栄が権力2重構造を作ったといってよい。 その後日本の政治に、
いかに悪影響を及ぼしたか言うまでもない。
 要するに影の支配者的存在の政治家(金丸、野中ら)が傀儡政権が乱立し、
強力な内閣(総理主導の政治)とは言いがたいものばかりであった。
 派閥、族議員によるコンセンサス型の政治が跋扈していた。国民から誰が
リーダーシップを発揮しているのかわからないものであった。
 それは、自社さきがけ政権のような連立内閣にも現れ、その影響力から
逃れることはなかった。
 
 こうした中で反田中というより、竹下・金丸の経世会は当初は権力の二重
構造に対する国民の拒絶反応に対する、自分たちの派閥から総理候補
(竹下)を担ぎたいというものだったのだろう。
 しかし、竹下政権崩壊後は権力闘争の中で、経世会が影の支配者になって、
宇野、海部、宮沢政権を作ってきたことは田中政治の踏襲といってよいだろう。

 田中角栄は佐藤栄作から独立する形で田中派を作り、佐藤栄作の意に
反して、福田赳夫より先に総理の座を射止めた。
 竹下登もまた、田中派から独立するかたちで1984年に経世会を発足させる。
その中で小沢一郎は七奉行と呼ばれたメンバーの一人だった。

 また、金丸が東京佐川事件で失脚したとき、経世会内部の権力闘争の中で
小沢一郎は自民党を飛び出し、新生党を立ち上げた。
 まさにある意味、田中、竹下、小沢には同じ政治的DNAが流れていると
いってよいのではないか。 
 最も小沢のみが総理の座を射止められなく、縁の下の力持ち的立場に立た
ざるをえなかった。
 今回の西松事件での秘書の逮捕による、世論の反発から代表を辞任した
ことによって、小沢の総理の芽はなくなったのはではないかと考える。
 
 こうした田中型、経世会的政治は小泉政権によるパワーシフトによって影を
潜めることになった。

次回に続く

2009年5月17日日曜日

小沢一郎研究1

 小沢一郎という政治家はいかなる人物なのか考えてみる必要がある。

 現在の民主党、代表代行に就任したというニュースを本日(5月17日)接して
未だにその影響力が衰えいていないことが残念である。

 正直、小沢一郎に対して斯様なネガティブな意見を持っているのは、やはり
細川政権時の小沢一郎の行動・政治姿勢にある。

 1993年に宮沢政権は倒れ、自民党一党独裁の政治に終始させた時に、
誕生したしたのが、細川政権である。

 そして1年ちょっとでまた自民党が復活させて責任は、当時細川政権あると
考えられる。 首相の細川、官房長長官の武村、そして小沢一郎が天下国家
を考えずに、政権内で強力もせず、政治のイロハも知らない殿様、細川と
小沢嫌いの武村と裏政治に精通しているが国民的人気がない小沢の3者の
エゴがぶつかり合い、空中分解せざるをえない状況に追い込まれる。

 その後の日本の状況を「失われた10年」とよく言うがまさにこの3人が作った
ものと考える。 当然、村山政権などは自民党の傀儡であり、ある意味、細川
政権よりもひどいが上記3人の罪に比べたら比較的責任は軽いと考える。

 そして、今回小沢一郎を改めて見つめなおすとき、私自身の原点は1983年
にある。

 1983年といって、すぐにどういう状況か思い浮かべるのは難しいと思われる
が、私自身もまだ高校生であり、初めて小沢一郎をテレビにて見た年であった。

 高校生で小沢一郎の存在をしるというのは、私が小沢一郎の選挙区が地元
の同じ県(岩手)出身である。

 なぜ、それほど印象に残っているかといえば、1983年の第37回総選挙は
田中角栄の実刑判決後の最初の選挙だった。 田中の選挙区に作家の野坂
昭如氏も出馬し、盛り上がったが、結果は22万表を田中は集めらくらく当選
したときである。

 一方の小沢はすで衆議院議員を5期務めていたが、田中派ということもあり、
ぎりぎりで当選したことえをいまだに覚えている。

 テレビで水沢の彼の事務所とテレビがつながったときの青ざめた表情は今でも
忘れられない。 

 1年後、竹下登とともに勉強会という形で田中派から離脱した時、当然の流れの
ように感じられた。 田中派では総理を出せないというあせり、また脱田中を後の
経世会のメンバーは思ったものと考えられる。

 次回はその辺を中心に論じていきたいと思います。

2009年5月16日土曜日

民主党の代表

 本日16日に民主党の代表に鳩山由紀夫氏が新代表に選出されました。

鳩山氏も対抗の岡田氏も以前、代表を務めておりましたので、あまり新鮮さが感じられないのが残念です。 民主党の他にも党の顔として新しい人材を選出するほうが、対自民党には、インパクトがあったと考えられます。

 長妻、原口、安住、野田、枝野、長島、古川、玄葉など有望な議員にもアピールして欲しかった。彼らの中には2期の人はいるけど、4期から5期の議員さんたちで実績云々を言ってほしくないというのが率直な感想です。

 逆にこの世代の人たちがリーダーとして活躍しないこと日本の政治は活性化しないといえます。特に私が期待しているのは、長島、古川、玄葉の3人には民主党の中でも珍しく期待した政治家です。

 あまり、鳩山、岡田、菅氏に未だに期待するのなぜなのだろう。 再チャレンジのつもりか知れないが残念でならない。

2009年5月15日金曜日

パンデミック

最近、やはり気になるニュースといえば、やはり新型インフルエンザに
なるのではないでしょうか。

そもそも、メキシコで発生したと言われる新型インフルエンザが豚からの
ものなのかはっきりしていないみたいです。

H1N1とH5N1(鳥インフルエンザ)との違いも素人にわかりかねます。
タミフルが有効かどうかという事についてですが。

とは言え、日本での空港などでの水際対策がやりすぎなのか、十分で
ないのかも解りかねます。(外国の人から見て)

しかし、ひとつだけ言えます。 夏に向けてインフルエンザの活動が弱体
化しニュースにもならならなくなりますが、今年秋以降に日本でパンデミック
と呼ばれる大流行になる危険性はまだあるということです。

ちなみ、映画にもなったアウトブレイクとパンデミックの違いとは世界中で
流行するのがパンデミックで局所的感染がアウトブレイクだという事です。

ホットゾーンというベストセラーの本も在りましたが、もう十年以上前なんで
すね。

2009年5月14日木曜日

格差社会を乗り越えて

 前回のブログで簡単に格差社会について述べてきましたが、いかに
より良い社会を目指していくのかという問題はそう簡単ではありません。

 佐和隆光氏の「市場主義の終焉」を読み、現在の日本経済の問題点
を解りやすく解説してくれる本でした。 ただし、その中でも今後、日本は
環境と福祉に力を入れるべきという結論は著者自身も甘いと感じられて
いるように格差社会の問題を解決するのは難しいように考えられます。。
 
 製造業の非正規社員の人々の仕事を環境や福祉の現場が受け皿に
すべてなるわけがないと考えます。

 ある番組で宮崎哲弥氏が言っていたように、「不況を脱却するには、
マクロ経済政策とイノベーションの創出」と。 ごもっともですが、じゃ何
と聞いてみたくなります。 
 
 結局、停滞した状況が続けば、不況対策にはバブルと戦争が必要
なのだと危ない人たちがひそかに思ってしまう恐れもあります
 
 右であれ左であれ、現在の不況の乗り越え、格差を是正するには
やはり個人個人が自立した生き方が出来るようになるしかないので
はないでしょうか。

 結局、私も空想の粋を出ないかも知れませんが、私なりの考えを
述べます。
 たとえどんな人でも社長になることは出来る事です。
それぞれの人が自分にあったビジネスや技能をを取得することです。

 高校・大学を出て会社に就職というだけでは、今後の厳しい社会を
生き抜いていくことが困難です。 

 とは言え、簡単に社長や職人になれわけはありません。 以前見た
ペイ・フォワードという映画があります。
 この映画では主人公の少年が他人に良い行いや助けてやることで
その恩恵を受けた人たちが次々と他の人たちを助けていくという
話です。

 最初の1歩は小さいかもしれませんが、一人のベンチャー起業家が
4人の社長候補を育てていくのです。
 どうしても、人材の確保という観点から否定されるかも知れませんが
ベンチャー起業の目標がすべて上場して莫大キャッシュを得ることで
なくてもいいはずです。
 地域に根ざしたコミュニティー的存在であってもいいはずです。
そこで自立した人間を育てネットワークを構成できればいいのですから。

 最後に、派遣村に一言、派遣村自体すばらしい活動ですが、メディア
に出たとき、野党の党首や政治家のかたのパフォーマンスを見ると
彼ら・派遣村の活動が矮小化されてしまうような気がします。
 社会が政治家・資本家・労働者という固定観念の縛られているようで
自由には見えません。
 自由は当然、厳しく自己責任が付きまといます。 しかし大きな政府
では役人の特権だけが大きくなり、労働者として幸福しか追求できなく
なります。 憲法25条をどう解釈するかですが。

 


 

2009年5月13日水曜日

格差社会

格差社会について考えてみたいと思います。


 日本が戦後の高度経済成長おいて、社会構成を推察すると、
10%の富裕層と80%の庶民と10%の貧困層で構成されて
いたと考えられる。
 昨今の格差社会と言われる勝ち組・負け組みの構造は、30%
の富裕層と40%の中間層と30%の貧困層に分かれているよう
に思われる。
 多くの識者が過去の日本の姿にノスタルジーを感じているのか
も知れない。 みんな貧しく、それでも清くとばかりに。
 ホリエモンや村上ファンドのような人たちを嫌悪し、ある意味、
どぶに落ちた犬をたたくように否定し、マスコミを賑わせた。

 そして、中間層である、サラリーマンの人々もこの流れの中で
2極分化が進行している。

 テレビ局やマスコミの方々の年収は他の業界よりも高い。
そして規制に守られている業界である。テレビ局は免許制で
新聞なども特殊指定などの規制で保護されている。

 最も、テレビ局は下請けの制作会社を使い、ヒエラルキーを
形成しているので、ある意味、格差社会を助長している存在と
いえる。

 ある民放のニュース番組は年収5億のニュースキャスターと
年収300万のADがひとつの番組を作り、社会問題に切り込ん
でいる。 (当然、年収5億は個人でなく事務所としてもらっている
ものと推察されます。)

 リーマンショック以後は、中間層も貧困層へとシフトが拡大している。
さらに貧困層は派遣ぎりなどで、さらに劣悪な環境に陥っている。

 この中で湯浅誠氏の「反貧困」という著書が脚光を浴びたのだと思い
ます。 彼は底辺の人たちの目線でこの本を書いているので多くの人
の共感がえられたのだと思います。

 ただし、この状況を打破するには、政府のセーフティーネットの充実
だけでは難しいだろうと考えます。
 いかに、貧困層といわれる人々に雇用創出していくのかということが
重要になります。
 
 2004年の製造業への非正規雇用を認めたことが、現在の派遣切り
をうみ、多くの人たちが非難しておりますが、海外との競争力強化の
観点から必要な制度だったと考えます。
 とは言え、景気悪化によって、このような現状から這い上がるために
も、自助努力ならびに社会のサポートが必要になってくるものと考えます。

 また、明日、「格差社会を乗り越えて」と題して論じていきたいと思い
ます。
  

2009年5月12日火曜日

小沢一郎氏辞任

昨日の夕方、民主党の小沢代表が代表を辞任すること
を発表した。 予てより辞任を求める声や辞任するのでは
ないかという憶測があったので、正直驚きはしなかった。

昨日の会見でも、検察の不当な捜査について言及していた。
ただし、現在の民主党が置かれている立場として、挙党体制
を崩しては、次の総選挙に影響ありとの判断から辞任した
模様である。

ここで、問題として取り上げたいのは次の3点である。

1、 小沢氏周辺の金の問題
2、 国策操作
3、 民主党への影響

 1については西松建設の問題以前から政治資金での不動産
の購入問題でも、彼には疑惑が向けられていた。
 朝日新聞などは小沢の金にまつわる透明度を99%などと
書いていたが、金丸ゆずりの金権体質はそう簡単に変わる
ものではなく、むしろ朝日などに透明度99%と書かせるくらい
手馴れた(法の網を潜り抜ける手法)金権政治を行っていた。
 金丸は金塊で国税の捜査を受ける羽目になったが、小沢
の不動産にかかわる固定資産は地方税なので国税から逃れ
られると小沢は考えていたことだろう。
 金丸事件以後、検察と国税のタッグによる捜査は理にかなった
ものや国民へのパフォーマンスなのではないかと思われるもの
あるので、強大な権力を持つこの手の捜査には注意する必要が
ある。

 2の国策捜査については、検察の捜査線上に浮かびあがったきた
のが小沢や二階などの疑惑である。また上記の問題による国民の
厳しい目(一部の保守層)がある現在、小沢への集中捜査になった
ものと考えられる。
 民主党鳩山幹事長は、記者会見の場で国策捜査と言っているが
捜査の集中と選択は在ってしかるべきであり、時期も総選挙を気に
する必要がない。 もし仮に亀井氏が言うような、総選挙後に捜査
を開始されていたら、政権交代は出来ても、政治空白もしくは政権
のレイムダック状態は避けられないであろう。
 まあ、個人的には西松問題で名前の挙がった政治家、小沢、二階
森あたりまでリクルート事件なみにやってくれてもと期待している有権
者は案外多いだろうと見る。

 3の民主党への影響は、小沢辞任でリセットができるのでむしろ
プラスになると考えられる。 
 ただ、後任でとり立たされている、ジャスコ岡田や外国人地方参政権
賛成の鳩山では、左より方々には評判は良くてもあまり新鮮味がなく、
期待の持てない体制になることだろう。

 

 

2009年5月11日月曜日

日本の現在

現在の政治状況、ならびに経済状況は最悪の
状態にあると考えます。

ただ、安直な新自由主義批判はどうかと思い
ます。

マスコミも格差社会と金融恐慌との批判を竹中
小泉の政策に安易に求めています。

ようやく、最近、湯浅誠さんの「反貧困」を読み
納得する部分と果たしてどうなのかという部分
があります。

格差社会は新自由主義の政策によって生まれた
ものといより、むしろグローバルな経済活動の中で
いかに雇用を生み出すかというで生まれたきたと考
えてします。

中国、ベトナム、日本の人件費を比較すれば、一目
瞭然です。 日本が自給800円から1000円とすれば
他のアジア諸国では半分以下のところもあります。

今まで、ソフト開発でベトナムやバングラデッシュなど
オフショア開発することもその例となります。

ただし、契約社員を景気後退によって簡単に切り捨てる
事は道義上、問題がありがますが、企業家にとって人件
費のコストは切実な問題です。

当然、湯浅氏が言われるように政府によるセーフティー
ネットの充実がひつようなのでしょう。 

ただし、最近の経済状況でニュースにもなりませんが、
日本の財政赤字は悪化一途をたどっています。

財源ということで消費税の税率アップを叫んでいる財務
大臣もおられます。

多分、難しい問題ですが、自分なりの考えをこのブログにて
今後発表していきたいと思います。