2009年5月29日金曜日

野中広務研究2

 前回に引き続き野中広務について書いてみたい。

 やはり、小沢一郎と野中広務の共通点と言えば、やはり闇将軍
というネーミングがピッタリのキャラクターと言うことだろう。 ただし、
闇へのルートは両者で異なる道をたどる。

 小沢は基本的に経世会の陽のあたる場所にいたため、マスコミの
格好の餌食になり(金権体質政治)、表舞台でなく裏方に回った感じ
がする。
 一方、野中は地方の政治家から中央に地味に転進し、かつ文字
通り底辺にいたことな間違いない。 ただ、自民党が下野した時、
野中の力なくしては自民党の復活はありえなかった。
 もし自民党が与党のままだったら、野中は自民党の田舎議員に
見下されて、日の目を見ない政治家だったのでないかと考える。

 これは、現在の総理である麻生とのまことしやかなエピソードが
物語る。そして、下野した自民党の議員は、野中がのさばることも
大目に見ていたことだろう。
 しかし野中は、自民党が与党に復活しても、幹事長代理などの
あまり重要でないポストにいたこと考えると、裏方に徹する事で
多くの自民党の田舎議員への配慮を忘れていないこと示すもの
と考える。
 ようやく、小渕政権のとき、小渕に懇願されて官房長官のポスト
につき、表舞台に登場する。 (もう十分目だっていたが)

 この小渕政権の改めて見直すと、自自公という現在まで続く、
醜悪な政権与党が誕生した。 公明党と自民党という水と油が
一緒になるため、触媒として自由党率いる小沢が必要であった。
小渕を挟んで、小沢と野中が握手する場面は醜い以外の何者
でもなかった。この奇妙な構図に多くの国民も疑問を抱いたはず
である。
 野中は小渕政権の前の橋本政権で、小沢がいた新進党を壊滅
に 追い込ませた張本人であるから、この自自公はいつ崩壊する
のかという危険性をもっていた。 これは、小沢の政治家としての
資質によるものである。
 
 結局、小渕の死が自自公の崩壊を促し、野中、青木、亀井、森
村上のいわゆる五人組による、密室での森政権への移行がなさ
れた時から野中の転落は始まった。
 
 森政権はあまりにも国民的人気がなかっため、自民党内部から
反発が広がった。 最も野中は一発目の「加藤の乱」は持ち前の
権謀術数を使い、加藤の弱腰もあいまって沈めることができたが
二発目の小泉の総裁選への出馬によって形成が逆転してしまった。




 
 

 
 

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