2009年5月19日火曜日

小沢一郎研究3

 小沢一郎の印象はやはり、自民党の幹事長時代に決定付けられたと考える。
いわゆる、金丸、竹下、小沢ラインが出来、他の竹下派七奉行とは一線を画し
たといえる。 最も金丸・小沢 対 竹下・小渕に経世会が割れるのを見ると、
マスコミが書きたてた「金・竹・小(コンチクショー)」とは1枚岩ではなかった。

 さらに、個人的見解だが小沢によく豪腕というが、果たしてイメージどおり
とは思えない。 小沢が権力闘争の結果、自民党を離党するところを見ると
政治家としての手腕がそれほどのものとは思えない。 マスコミによるイメージ
でさも有能(豪腕)もしくは自己中心的、強圧的に写っていたと考えるられる。

 そのいい例は、東京都知事選挙での磯村擁立や宮沢政権を作るときや、
自民党の総裁選のとき幹事長である小沢のところへ宮沢・渡辺などを呼び
つけた事など、どういうイメージでマスコミに書かれるかを推し量れない
あたりを見ると有能といえない。

 したがって田中角栄と比較する小粒でしかないし、金集めの能力は高いの
かも知れないが金丸程度といえるだろう。 

 ただし、小沢の凄いところは田中や金丸に好かれることである。

 小渕政権が発足する前、田中真紀子がマスコミでよく登場し、コメントを
求められて、小渕・梶山・小泉を凡人・軍人・変人と称した際、小沢について
聞かれた時、すっけなく「知りません」とだけ答えていた。 いつもなら要らな
いくらい饒舌の田中真紀子が、さも感心もないように装っていた。
 このシーンをテレビで見たとき、田中角栄は田中直己でなく田中一郎が
本命だったのではないかと勘ぐったほどだ。

 小沢がいかに田中や金丸に好かれようが、同僚や部下が疎まれるところ
を見ると人間的に欠陥があると考える。

 結局、小沢は自民党、新生党、新進党、自由党、民主党を渡り歩くことに
なるが、政治家として一貫性もなければ、駄々こねて常に側近に去られると
いう感じがしてしまう。
 西松献金問題でも同じ俎上に上った二階なども小沢の側近だった。まあ、
政治手法(金権スタイル)は争えないらしい。

 
 

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