2009年5月20日水曜日

小沢一郎研究4

 小沢一郎を検証する場合、やはり闇の部分に触れる必要がある。
その闇の重要な人物が野中広務と小渕恵三である。 小渕は言うまでもなく
竹下七奉行のひとりであり、経世会の分裂の際には小沢と小渕は対立せざ
るをえなかった。 野中については、経世会が分裂するまでほとんど表舞台
に立つことななく、自民党が野党に転落してから脚光を浴びた。

 まず、小沢と野中であるが、小沢が自民党を飛び出したとき、野中は小沢
を自分の著書「私は闘う」で小沢を悪魔とののしった。 これは小沢と野中
の確執があったというのではなく、仮想敵とした内外に示したものと考える。
 結局、野中は自民党を復活させ、新進党を分裂に追い込んだといえる。
ただし、2年後には自自公連立政権(小渕)を成立させるとメディアの前で
小沢と野中は握手までして取り繕っていた。 その姿は醜悪に思えた。
多分、表に出ない駆け引きがあったのだろう。 仄聞によれば、小渕が
野中に頭を下げ官房長官をお願いし、かつ小沢との関係修復をはかった
のではないかと言われている。

 次に小沢の強烈なイメージが残っているのが、小渕の記者会見の場である。
小沢との会談で、連立解消(保守党も残留)が決定付けられたあとだった。
そこでの小渕のしどろもどろぶりは明らかにおかしかった。 小沢との会談
内容が小渕の神経をまいらせているのではないか感じたくらいだった。
 その1ヵ月半後、小渕は帰らぬ人となった。(脳梗塞といわれる。)

 小沢の闇をあぶりだすことは多分難しいだろう。 本人も過去の政治を振り
返るとその闇を見つめることはできないのではないか。 
 小沢が理解されないというよりむしろ小沢は小沢を演じ続けなければならな
い運命をも呪いたくなるのではないか。 

 今回の代表辞任も小沢一郎ストーリーの必然的結末であり、また院政の
ような立場の役回りも用意されている。
 常に得体の知れない「小沢一郎」ではなくてはならないような気がする。

 




 

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