2009年5月30日土曜日

野中広務研究3

野中が最後に対決した小泉純一郎だけは引きずりおろせなかった。

小泉が野中より策略や権謀の能力で上回ることなどない。小泉がこれ
までの政治家に無いタイプとはいわないが、総理にまで上り詰めること
なかった。

1匹狼もしくは少数の仲間しか持てず総裁選に打って出ることは変人で
なければ出来なかった。 小泉も過去2回の総裁選は橋本、小渕に完全
にやれている。 

ただ、森政権崩壊後の自民党の危機感は、これまで政治の流れを一変
させた。 経世会が弱体したことも小泉政権を生んだ要因のひとつと考え
れる。

多分、野中は小泉政権が生まれたとき、そんなに長く政権を維持できない
と考えていたことだろう。 党3役、並び閣僚を派閥の意向の無視して独断
で決めることなど許したくなかったが、最初だけと大目に見ていたことだろう。

野中は最後まで小泉を崩せず、最後は引退にまで追い込まれた。 最も野中
が小泉によって引退したなど言わないと思うが、経世会が壊滅状態に追い込
まれた事は確かである。

小泉政権時の総裁選挙で送り込んだ藤井候補のその後の惨澹たる状況は
経世会の弱体化をよくあらわしている。 現在の津島派に過去の経世会の
面影などない。

 そして、小泉を引きずりおろせなかった要因は、支持率の高さと金権ス
キャンダルがほとんどなかったことである。 小泉に金にまつわるスキャン
ダルが皆無というのではなく。 揚げ足とりのようにスキャンダルのリークをす
ればブーメランとなったで自分たち飛び火してくるから、野中得意の権謀
術数は生かされなかった思われる。

 挙句の果てに日歯連の献金問題は野中の致命傷になった。
現金授受の場面にいた野中、橋本、青木の3人は司直の手から逃れ、村岡
に責任をかぶせる事が出来たが、国民の疑惑の目から逃れることは出来な
かった。

 「毒饅頭食ったんか」と怒りをあらわにした村岡に罪をなすりつけられて、
少しは気分が晴れたかも知れない。 
 えてして、弱者に対する善人ぶりをアピールする野中だが、以外と他人には
厳しい面がある。 子飼い鈴木宗男が検察に捕まったときも知らん振りのよう
にふるまった事のその良い例である。

 自治大臣・国家公安委員長時代に培った謀略のコネクションもさび付いてしまった
と考えられる。

 最後に言及したいことは、野中が小泉を見誤ったことである。支持率や非金権体質
よりも重要なことである。 それは、小泉は加藤のような腰抜けで無かったことである。
 テレビでみた予算委員会で小泉と野中が対決した場面を思い出す。多分このとき、
小泉は野中の質問事項の裏側に隠されている恫喝にひるまなかったことが野中の
一手を封じ、政権を維持できたと考えられる。

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