裁判員裁判や芸能人の覚せい剤事件などで、マスコミ報道に疑問を
呈したい。
裁判員裁判は「国民の知る権利」からまるで当然のような報道の仕方
がなされていた。 たとえば中継車を出し裁判の内容が逐次報道される
のはいかがだろう。 これまでの殺人事件の裁判でこれほどまでに世間
に晒されたものがあったろうか。 殺人事件という重大事件だからこそ、
人権にも配慮しなくてはならない。はたして人権に配慮された報道と言え
るのだろうか。 たぶんマスコミの報道量は次回以降の裁判員裁判で
報道の量は減っていくことだろう。
運悪く、最初の裁判員裁判にあたったからと言ってよいものであろうか。
裁判を平等に受ける権利は当然あるのだから、マスコミ報道もある種の
節度が望まれる。 最初だから中継車を出し、逐次報道する姿勢は
センセーショナリズムそのものである。
劇場型政治と言って批判したいたが、彼ら(マスコミ)が一番の重症
患者であることはわかってはいたが、現実に見せられ、そしてカメラと
マイクで傍若無人にふるまう彼らの姿に興ざめする。
さらに芸能人の覚せい剤事件での報道は、現在の日本でトップ
ニュースにしないといけない事件なのかと疑いたくなる。
ワイドショーがなくなり、一般のニュースがワイドショー化している
のかも知れないが、本当に大事なことは何なのか国民がマスコミ
の乱痴気騒ぎをよそに考えなくてはならない状況と言える。
実際、裁判員制度が国会を通過したとき、日本のマスコミはどれでけ
報道したのか考えてみると、現在の日本の危機はマスコミ(新聞・テレビ)
発と言ってよいのではないだろうか。
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